会場の片隅に「苦学生」写真展―ボランタリーフォーラムTOKYO

Esaman2009/02/07
市民社会をつくる ボランタリーフォーラム TOKYO 2009」〜今、市民として“生きる価値”を問う〜(飯田橋)に参加してきました。会場の外の壁には、パンフレットには載っていない写真展が開催されていたので報告します。設置されたプレスルームからの速報です。

http://www.news.janjan.jp/culture/0902/0902076979/1.php

写真展の案内。「朝日が昇る5秒前」新聞奨学生の実感の伝わってくるタイトルだ。写真展の案内。「朝日が昇る5秒前」新聞奨学生の実感の伝わってくるタイトルだ。

 「市民社会をつくる ボランタリーフォーラム TOKYO 2009」〜今、市民として“生きる価値”を問う〜に参加してきました。

 初日の7日は、JanJan代表の竹内謙さんの講演がありました。JanJan設立の目的には、「政治を変えていく」ことも一つとしてあった、という話が印象にのこりました。

 その会場の外の壁では、パンフレットには載っていない写真展が開催されていたので、そちらを報告します。

仕事の合間にみかけた動物たちの写真。指さされているのは、寝ていた所を起こされて、よだれをたらしている猫。動物には主に夕刊配達の時に会うらしい。仕事の合間にみかけた動物たちの写真。指さされているのは、寝ていた所を起こされて、よだれをたらしている猫。動物には主に夕刊配達の時に会うらしい。

 この写真展は「新聞奨学生」の人たちの写真展で、主催者は「つばめの配達屋」。おもにmixiなどの呼びかけで集まった人たちで運営されているもので、今まで、都内の大学祭などで、5回ほど写真展を開催したそうです。

 参加しているのは、いま新聞奨学生として働いている学生や、かつて働いていた人たちなど10名ほど。メンバーから集めた、仕事の合間などに取った写真が展示されていました。代表の方は、今回のボランタリーフォーラムのスタッフもされていて、フォーラムの関連企画として企画したとのことです。

 活動の目的としては「最近の学生はあまり働かなかったり、やる気がない、などと言われることもあるが、新聞奨学生などで頑張っている学生もいる」ことを知ってもらいたかった、とのことでした。

 また、現役で新聞奨学生をしている学生さんは、「新聞配達をしてから学校に行くと、よく眠くなります。とても忙しいですが、それがやりがいになります。最近では、派遣切りをされた人も新聞配達の仕事に来ています。新聞奨学生は、新聞がインターネットに押されていることもあり、年々減っています」と、自分で撮った写真を解説しながら語ってくれました。

元旦の新聞配達の写真。元旦はとても分厚くて配達が大変とのこと。積まれている新聞のほかに、初日の出の写真も。携帯での写真が多い。元旦の新聞配達の写真。元旦はとても分厚くて配達が大変とのこと。積まれている新聞のほかに、初日の出の写真も。携帯での写真が多い。

 新聞配達をしながら学校に通う、と聞くと、最近ではあまり聞かなくなった話で、「伝統的な苦学生」という感じがします。そのような学生が減り、大学進学率が上がったのは、日本が豊かになった、という指標の一つなのでしょうが、一方で、新聞配達の仕事に来る、派遣切りにあった若者も増えている、という現実を見て「伝統的な苦学生」が沢山いた当時、そのようなことは、発生したのだろうか、と疑問に思いました。

 みなさまも、ボランタリーフォーラムにお越しの際は、ぜひ12階の壁にご注目ください。


◇ ◇ ◇

つばめの配達屋
「市民社会をつくる ボランタリーフォーラム TOKYO 2009」
市民記者講座および、市民記者参加によるトーク企画開催のお知らせ

名古屋・派遣切り最前線・『泊まり込み事件』の真相

Esaman2009/02/07  
前回、前々回の記事は、中村区役所で進行している事態については、取材に十分な時間がとれず、関係者からの聞き取りを中心とした、おおまかな記事になりましたが、今回は1日、現場にはりつき、申請に来た人々の話を中心に、聞き取りを行いました。愛知県下で発生している『泊まり込み事件が発生した詳細』について報告します。

http://www.news.janjan.jp/area/0902/0902060935/1.php

中村区役所の二階のホールの前の廊下には、5分の1から緊急窓口が設置され続けている。中村区役所の二階のホールの前の廊下には、5分の1から緊急窓口が設置され続けている。
中村区役所の二階のホールの前の廊下には、5分の1から緊急窓口が設置され続けている。 1月26日月曜日。 前回、前々回と報告を書きました、色々と大騒ぎになっている、名古屋・中村区役所を、再び取材してきました。

 前回、前々回の記事は、中村区役所で進行している事態については、取材に十分な時間がとれず、関係者からの聞き取りを中心とした、おおまかな記事になりましたが、今回は1日、現場にはりつき、申請に来た人々の話を中心に、聞き取りを行いました。愛知県下で発生している『泊まり込み事件が発生した詳細』について報告します。

名古屋越冬・最終日、派遣切りの若者、やっとで合流
名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

●『区役所での泊り込み騒動』は、何ゆえに発生したか? 騒動の原因は?

 前回の記事でも紹介しましたように、中村区役所には、連日100名を超えるホームレス状態になった人々が押しかけていました、そしてその騒動は1月13日、中村区役所での『泊り込み』にまで発展することとなりました。その経緯を、初心者の方にもわかるように判明した範囲で紹介します。

 まず、役所が閉まってしまい、行くところがなくなる人々のために、毎年「越冬活動」が行われています。越冬活動は公園にテントを張ってたき火を炊いて暖を取るもので、名古屋では12月28日〜1月4日の間行われました。

 1月5日から役所の営業が開始されます。毎年、ホームレス状態になった人たちで、なんとかしてほしい、という人は、役所の窓口に申請に向かいます。その要望としては、『緊急宿泊所(通称キンパク)・一時保護施設』(行政が安い宿を借りたり寮を紹介。1日〜数週間単位)に泊めてもらったり、『自立支援センター』(宿泊できて飯が出る、入りながら仕事を探す。数か月単位)に入居を希望したり、『アパートでの生活保護』を申請したりします

 1月5日、例年ならば、年明けといえども役所の窓口に並ぶ人は『多い時に10人(長年関わっている人の話)』程度なのですが、今年は午前中だけで40名を超し、最終的には80人以上が相談にやってきました。

 ところが、『自立支援センター』へ入居を希望しても、年末にすでに満員になっていて、入れません。『アパートでの生活保護』は、水際作戦などもあり、非常にハードルは高いものになっています。そこで役所側は、入居を待つ間、自律支援センター『緊急宿泊所・一時保護施設』に泊める、という対応をしていました。

 こうした中で、年末、既に多くの人たちが『入居待ち』として泊まっていたので、緊急宿泊所・一時保護施設も数日で満員になりました。区役所には、1日単位でしか『緊泊』の切符をもらえない人たちが並び、どんどん増えていきました。そのあと、行政は派遣切り(?)で空いていた社員寮を借り上げて、入居施設として提供を始めましたが、そこもすぐに満員になり、対応能力を超えてしまいました。

 そして、土日をまたいだ13日、いつもよりも多い人たちが押し寄せる中、中村区役所が、駆け付けた相談者の一部を、宿泊所をなにも紹介せずに追い返したことが『泊まり込み事件』の発端になった、とのことでした。その後、15日夕方、泊まり込みを続ける人たちに対して、中村区役所側は『名古屋市ではなく、中村区としての』判断として、自立支援センターや緊急宿泊所、一時保護施設のほかに、ア パートでの生活保護を認めることを発表、泊まり込みを行うような事態は、とりあえず解消されました。

緊急窓口では現在、有志による炊き出しが続けられている。写真は笹日労芸能部の大西さん(1月26日朝)緊急窓口では現在、有志による炊き出しが続けられている。写真は笹日労芸能部の大西さん(1月26日朝)

●現場ボランティアの声

 これらの事情について、笹島診療所の藤井さんは、以下の通り答えています。

 「たしかに、宿泊所を紹介せずに追い返した中村区役所の対応には問題があります。ですが、緊急宿泊所の対応力と予算を決定しているのは名古屋市ですから、緊泊の能力を、市が拡充するという決断をすればよかったわけで、中村区役所だけを責めることはできません。 また、根本的な話としては、生活保護よりは自立支援センターを優先する、という厚労省の姿勢に原因がある話といえるので、国レベルでの姿勢を責める必要があります。今回の『生活保護でのアパート入居対応』も、中村区役所として、できることを考えて対応していると、とらえることもできます。本来は、生活保護という制度は、もっと幅広く活用される必要のある制度なのです」とのことでした。

 たしかに、今までなかなか認められなかった、アパートの入居を前提とした生活保護の申請を認めだした、というのは、画期的なことです。「法律的には、そんなものは当たり前の権利だ」という意見も正論ですが、いままで基本的には滅多に認められなかったことが進行しつつあるのは前進です。とはいえ、その「紹介されるアパート」には、生活保護の人たちを入居させることを専門にしている企業のようであったり、6ヶ月という期間限定があったり、という点が、微妙に怪しい、という心配はあります。

 この日に、いろいろと相談した人たちの話によると……「職員の中には、他の区からの応援も多数きている。マジメに親切に対応してくれる職員もいるが、中にはヒドイ対応をする人もいる。目にした例としては、当人は、アパートでの生活保護の申請をしているのに『アパートのようなものだ』ということで無理やり老人ホームに入れようとして、そのことを指摘されると『支援の人が騒ぎを起こして申請者が困っている』という無茶苦茶をいう職員がいた。また、生活保護の申請書を出したが、一時入居で移動した施設で『区が変わったので』ということで、生保の申請書は無視して、別の申請書類をかかせる、という行為もあった。

 病院に通院したい、という要望に対して『診断書はここでは出せません』という、日本語的におかしな対応をして誤魔化す、という例もあった。また生保の申請後『アパートを探してきたら、申請ができる』ような説明をして、申請者が必死になって入れるアパートを探していると『アパート探しばかりしていて、就労の意思が無い』と難癖をつけたりした例もあった」とのことでした。

 これらの「難癖」は、すべて「水際作戦」と呼ばれているものだと思います。実際に申請に言った当事者の話を総合すると、中村区役所の職員も、親切に話をきいてくれる人も、それなりにいる、とのことでした。

参考:瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態―
参考:瀕死の「生活保護制度」を救え!(2)各地からの報告

 筆者の印象としては、他の施設からやってきた職員が、そのようなことをしている可能性もあるのでは、と思いました。その際、その『水際作戦的な対応』が、単に不慣れなために連絡不足で発生しているのか、それとも、他の区役所では、いまだに平然とそのような対応がなされているために、そのような対応が出てきているのか、については、見極める必要があるなと、思いました。

 もっとも、社会から阻害されたり、いままで何度も役所で惨い目(水際作戦)にあったことのある人は、コミュニケーションが取りにくくなっている場合も、それなりにあると思うので、誤解もあるかとは思います。ですが、そのような状態に、その人を追い込んだのは、いままで無対応だった行政に責任があることも確かなのですが。

1月13日に中村区役所から出された「退去勧告」。その日に泊まる場所のない人たちを放置しての勧告が、泊り込みに発展した。1月13日に中村区役所から出された「退去勧告」。その日に泊まる場所のない人たちを放置しての勧告が、泊り込みに発展した。

●中村区役所、今後の展望は?

 2月から、中村区役所二階のホール前の臨時相談所は、使えなくなる可能性があるそうです。これに対して、断固使用を要求する、という意見もあるでしょうが、2月に入ると、確定申告などで役所が忙しくなり、大変なのも事実ですし、そもそも、ホール前の空間を占拠しているので、ホールを使用することができなくなっているのも確かです。

(このホール、実は2007年の年末に生活保護を考える集会)でも使用しています) また、現在のように、中村区役所の職員ばかりが苦労をする、という状態もあまり良いものとは言えません。

 そのような事情で、中村区役所での騒動は、1月いっぱいを目処に、現場を変える可能性があります。ですが、派遣切りなどで切られた人たちには、まだ少しの現金があったり、人によっては1月にもう1回、賃金の支払いのある人もいると思われます、というか、筆者は、越冬活動、中村区役所での騒動を通じて、そのような人たちに多数会ってきました。そして、経験の無い人は、手元のお金が、本当になくなってしまうまで、炊き出しや野宿はしないものですし、そのような状態になっても、区役所への申請には、情報が無いので、たどり着かないものです。2月、3月になるにつれて、ホームレスとなって相談窓口に来る人は、増えるのではないか、という観測もされています。

 事実、1月26日の相談者は支援サイドで把握しているだけで116人。(把握できていない人たちが10-20人いるかもしれません) 先週は、連日100人前後だった、とのことですから、地味に増えています。また「派遣切り」の若い人たちも、目に見えて増えつつあります。

 このような状況に対して、もちろん、行政当局に対して、中村区役所の負担を減らす意味合いも込めて、特別の窓口を設置することを要望していくとともに、「派遣村」のようなテント村を設置してはどうか、という話し合いも、支援者の中では出てきています。どこに設置するのか、誰が運営するのか等、課題は山積みです。ですが今後、ホームレスとなる人が増える予想はあっても減る予想は立てにくいのが現実ですから、なんらかの対応が求められます。

 次回は、具体的な『支援』の入り方と実際について報告します。

◇◇◇

 組織的な対応はできていませんが、中村区役所の支援の現場では、ボランティアを常時募集しています。

●中村区役所の現場にいる参加者で確認した方針
・今後も、可能な限り毎日中村福祉事務所に行こう。
・ただし互いに協力をするが、個人の意思・責任でやるしかない。
・宿泊場所の紹介がなかった場合、区役所2階で寝場所を求める。退去命令が出たら撤退する。

●参加方法…
・毎日8時半に中村区役所に集合して打ち合わせをする。 スタッフには首からカードを下げている人が多いです。

●現場でやっていること…
 2階の受付と待合室にいる人たちにチラシを配り、声をかけ、話ができそうであれば話をする。生活保護の詳しいことを知りたそうな人には、資料を配る。生活保護申請、とくにアパート生活が可能な人は、「敷金支給によりアパートに入居したい」という申請書をだすように呼びかけ、その援助をする。 生活保護申請以外の方法についても希望があれば紹介する。

●近日中に「支援実行委員会」を組織する予定です。

●支援者講座(主催:東海生活保護利用支援ネットワーク)
・2月5日(木)19〜21時 愛知県司法書士会館(熱田区新尾頭1-12-3)金山駅から徒10分
生活保護制度について(法律家)
名古屋市の住居のない人への生保適用状況(藤井克彦)、など 

退去勧告に対して1月15日に支援側が配った「緊急アピール」。1月7日に年末年始の一時保護施設「船見寮」から追い出された人たちが、さらに中村区役所で「お引取りください」といわれる事態に抗議している。退去勧告に対して1月15日に支援側が配った「緊急アピール」。1月7日に年末年始の一時保護施設「船見寮」から追い出された人たちが、さらに中村区役所で「お引取りください」といわれる事態に抗議している。

泊り込み事件について報告する週間笹島。独特の文字が特徴。 泊り込み事件について報告する週間笹島。独特の文字が特徴。

◇ ◇ ◇
関連リンク・名古屋年越し:
名古屋越冬・最終日、派遣切りの若者、やっとで合流2009/01/24
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名古屋・派遣切り最前線中村区役所を舞台にボランティア 日々奮闘

Esaman2009/02/05
前回、前々回と報告を書きました。こうしたなかで、1月26日月曜日。色々と大騒ぎになっている、名古屋・中村区役所を、再び取材してきました。前回、前々回の記事は、中村区役所で進行している事態については、取材に十分な時間がとれず、関係者からの聞き取りを中心とした、おおまかな記事になりましたが、今回は1日現場にはりつき、申請に来た人々の話を中心に、聞き取りを行いました。「ボランティア現場での支援」「派遣切りとホームレスの現状」について報告します。

http://www.news.janjan.jp/area/0902/0901296437/1.php

手製の味ご飯を配る、笹日労芸能部の、えぐれささしま さんと、大西豊さん。
手製の味ご飯を配る、笹日労芸能部の、えぐれささしま さんと、大西豊さん

前回記事:
名古屋越冬・最終日、派遣切りの若者、やっとで合流
名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

●「中村区役所」が舞台となる理由。業界用語としての「ササシマ」

 まず、会場となっている「中村区役所」ですが、ここにどうしてホームレスの人々が大勢押しかけるかというと、名古屋と各地を結び、市外、市内につながる、あるゆる鉄道が停車する「名古屋駅」があるエリアの区役所だからです。仕事を失い、家もなくなった人々は、とりあえず名古屋駅を目指し、そのままホームレスになることもあります。現在は解体され町並みは痕跡しか残っていませんが、かつては日本有数のドヤ街である「笹島(ササシマ)」を抱えていたエリアでもあります。

 「ササシマ」という呼称は、現在は名古屋駅の南部をさす慣習としての地名、あるいは交差点や小学校の名称としてしか存在していませんが、かつてはこの地区一帯にドヤ街があり、そのドヤ街のことをさして「ササシマ」と呼んでいたということです。そのころの名残りでしょうか?「日雇い・ホームレス業界」では、中村区にある職安周辺に、早朝に日雇いの仕事を求めて人が集まってくる状態のことをさして「ササシマ」と呼称する習慣が残っています。

(例:明日はササシマにいるよ…交差点や地名としての「笹島」のことではなくて「その時間」中村職安周辺に居ること)

 中村区役所には、ホームレスになった人たちも使えるように、シャワー室なども完備されており、生活保護申請や、一時宿泊所の案内なども、他の区よりも頻繁に行われています。かつてドヤ街だった名残として、1泊1500円〜2100円の宿が周辺に点在している、という事情も一時宿泊所の案内に影響していると思います。

●「支援」の入り方。どのような手順で、なにをするか?

 1月26日、朝の8:20分に中村区役所に向かいました。すでに大勢の人々が並んでいます。どのような人々かというと、家も食も失って、ホームレス状態になっている人で、初めて申請に来た「新規」の人もいますが、すでに役所には相談しているが、病院の診察手続きや、一時宿泊所の切符の更新のためにきている「継続」の人も、それなりの数います。集まった人たちは、中村区役所の2階ホール前に臨時に設置されている受付に行き、整理券をもらい、待機します。数字が早いほど早く呼ばれるかというとそうでもなく、医者にかかる予定の人などが早めに呼ばれます。だいたい、30〜50番台で午後にズレ込みます。

 ここで「支援」は何をするかというと、役所の2階の特設受付エリアで自分の番を待っている人たちに、色々と聞き取り調査をします。整理番号や名前、新規か継続か、今はどこに泊まっているか、病気はないか、希望する申請内容、申請後の役所の対応、などを、色々と聞きます。もちろん、詳しく話したがらない人もいるので、そのあたりは「間合い」を測りつつ聞きます。

 この聞き取りの目的は、主に2つ。

・初めて申請に来た人に、いろいろな申請方法をと権利を説明する。
・申請者が、書類を受け付けられなかったり、本人の希望を曲解されたり、今日泊まるところもなく追い出されたり、ということがないように、チェックする。(『水際作戦』の防止)

 『申請』のルートは、大きく2つ存在します。

・「アパートでの生活保護」を獲得し、社会復帰を目指すルート。
・「自立支援センター・シェルター」などに住みつつ、社会復帰を目指すルート。

○「生活保護コース」のながれ

 お年寄りで働くのが酷である、病気で働けない、仕事を探していてもみつからない、などの理由があって生活できない場合、誰でも年齢に関係なく、生活保護の申請ができます。これは、憲法でも保障された当たり前の権利であり「若いとダメ」「病気でないとダメ」などの理由をつけて、申請させないこと(水際作戦)は違法です。

 申請者は、住むところが無い、仕事が無い、仕事を探しているがみつからないので、仕事を探すためにも生活保護がほしいこと(人によっては、高齢、病気などで働けないなど)、アパートで生活したいこと、敷金、礼金などを出してほしいこと、そして、現在の資産状況などを申請希望書類に書いて提出します。用紙は、いままでは隠されていて出てこないので申請できない、という子供のイジメのようなことが頻発していましたが、現在は、支援側がコピーして配っているので大丈夫です。

 申請の際、役所側の人間は「相談は、お聞きしました」などといって、書類を受け取らずにごまかす水際作戦の一つもあるので、受け取ったことを、支援、当事者共に見届けます。また、申請書に「敷金・礼金を出してほしい」ということを明記する理由としては、アパートでの申請は許可するが、敷金・礼金を払え、という無茶(一文無しで相談に来ているのです!!)なことを言ってくる場合があるから、とのことでした。

 一旦、申請書を提出された役所側は、2週間の間に申請の内容が虚偽でないかを調べて、結果を出さなければなりません。申請後、銀行口座などの資産が残っていないか調査されたり、申請者の親や兄弟に連絡がいきます。親や兄弟に連絡をとってほしくない、という人はこのルートは選択できません。

 申請が審査されている2週間の間は、緊急宿泊所で泊まったり、一時保護施設に泊まったりしながら、通院や就職活動を行います。「緊急宿泊所」というのは、行政がお金を出して、中村周辺の安い宿をとったりするものです。1日に230円ほどの生活補助金も出るとのことです。「一時保護施設」というのは、家の無い人たちが泊まって生活して、社会復帰を目指す施設として建てられている建物で、市内にいくつかある寮のようなところです。これらの施設は、それぞれ条件が違い、1人部屋、2人部屋、4人部屋などがあります。

 この2週間の期間中の通院は、行政側が負担をして、診察などを行います。野宿を続けていると、若い人でも、ひどく体調を崩すことがあります。支援の人たちは、今後の就職活動に備えて「リセットするつもりで」体の色々な所をみてもらうように、というアドバイスをしています。そして2週間後に生活保護の申請がおりた場合はアパートでの生活が始まります。生保の申請が下りなかった場合は、今回の活動において、生活保護の申請が本格化してから、間もない(※1)ので、詳細は不明です。

※1:行政が「市ではなく区の対応」として、生活保護の申請を多くの人に認めはじめたのは、年始に大量の人たちがおしかけて緊泊、一時保護施設ともにパンクし、「申請拒絶」を行い、怒った当事者たちが役所に「泊り込み」を開始。結果、15日の夕方からです。まだ申請後2週間たっていない人も大勢いるので、申請が皆通るのか、今後どうなるのかは、動静を見守る必要があります。

参考:名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

○『自立支援センター・シェルター』のながれ

 色々な事情などで、生活保護の申請をしたくない、という人には、自立支援センターや、シェルターへの入居を勧めます。これらの施設は、宿泊しながら就職活動を行うところです。食事は3回出るところと1回出るところがあります。時々仕事があり、月に7000円(食事3回の施設)、35000円(食事1回の施設)を、稼ぐこともできます。

 ところが、シェルター、自立支援センターともにすでに満員になっており、入居を待つ間、前述の緊泊や一時保護施設に泊まることになります。その間に、就職活動や通院なども行います。これらの施設は、生活しつつ、仕事を探して、お金をためて、自力でアパートに入居することを目指す施設ですが、現在は、若い人でも求人は全く無く、結果として、何ヶ月もの時間がかかり、アパートに入居できないこともあるそうで、支援としては、どこの施設も満員になっているので、生活保護を獲得してアパート入居を勧めている、とのことでした。

 筆者としても、仕事がないなかで「仕事をしてお金をためて自立」という、いつ描けるかわからない絵を無理矢理描くよりは、生活保護をすぐにとって、安定した生活を送りつつ、就職活動をしたほうが、精神的にも余裕ができて、結果として時間も税金も安く済むのではないかと思うので、良い方法だと思いました。

 これらの一連の活動をサポートするのが「支援」がやることです。もっとも「聞き取り」も「申請も見届け」も、ある程度の経験がいる作業ですが、それ以外の仕事もいろいろとあるので、初心者でも歓迎、とのことでした。朝の8時30分頃に中村区役所にきてくれれば、誰かスタッフがいるので、説明をしてくれるそうです。また、手伝いだけでなく、物資としての支援も歓迎とのことでしたが、中村区役所に直接持ち込まれてもこまる場合もあるので、事前に現場まで連絡ください、とのことでした。最近では、有志の主婦の人たちが炊き出しでおにぎりを作って来てくれたりしているそうです。

芸人である、えぐれさんの軽快な語りに、並んでいる人たちにも笑いが起こる。
芸人である、えぐれさんの軽快な語りに、並んでいる人たちにも笑いが起こる。

●『支援』をしているのは、どんな人たち?

 現在、中村区役所で日々「支援」活動をしている人たちは、名古屋の越冬や炊き出しなどで活躍している人たちです。ですが、越冬や炊き出しだけでも、非常に大変な仕事である上に、中村区役所で毎日繰り返される「支援活動」を、組織的に支援できているかというと、そうではありません。内実としては「越冬」や「炊き出し」に関わっている人たちで、時間のある人たちが、できる時間に、できることを現場にきてしている、という状態になっています。実行委員会があるわけでもなく、特定の組織や労組などがパックアップしている状態でもありません。参加している個人個人の努力で支えられている状態です。
 笹島診療所で30年以上活動してきて、今回の中村区役所騒動でも、もっとも長く現場にはりついている一人である、藤井克彦さんは、「ほんとうは、実行委員会などを組んで活動したほうがいいのですが、そのような調整や話し合いをする時間すらなく、現場での対応に追われています。笹島連絡会や診療所がやっている、というわけでもなく、とにかくできる人同士で、現場でできることをしている状態にあります」と、風邪気味な声で語ってくれました。

●『申請者』のみなさんは、どんな人たちでしょうか?

 色々な事情から、ホームレス状態になった人たちです。以前からホームレスだった人も、いま話題となっている「派遣切り」にあった人たちも、両方います。以前からのホームレスの人たちも、社会情勢の変化によって、ただでさえ厳しい生活が、より厳しくなっているのは事実なので、相談にやってきます。(ホームレスになっていても、廃品回収などで働いている人が、結構いるのです)ですが、長年ホームレスをしている人たちは、役所では「水際作戦」などで嫌な目にあっている人が多く、建物に近づくのも嫌だ、という人も少なくありません。そのような人たちに、生活保護の申請をして、本当に通ることがある、アパートに入れる、ということを信用してもらうのは一苦労であると、長年支援活動に携わっている人は語っていました。

 最近は、目立って派遣切りにあった若い人たちが増えてきました。手元に現金がなくなり、何日か野宿をして、人に聞いたり職安で聞いたりして、たどり着く人が多いようです。

 ある20代前半の若者は「住み込み派遣だったが、1月に入って寮を追い出された。色々と引かれて手元には2万円も無かった。以前なら仕事がなくなっても、次の住み込みの仕事がすぐに見つかった。なんとかなるだろうと、とりあえず名古屋に来てみたが、以前と違って全く仕事は無い。求人情報誌の厚さが半分以下になっている。すぐに現金は底をつき、移動すらできなくなった。街中を歩いて周り、夜中はネットカフェが入っているビルの1階などで過ごした。雪も降って大変だった。住所不定無職に、自分がなるとは思わなかった。職安で中村区役所のことを知りやってきた。米を食べたのも、シャワーを使ったのも何日か振りで生き返った気がした」とのことでした。

 もう少し、お金をもっている人たちは、まだネカフェや路上に多数いるのではないかと思います。組織的な対応はできていませんが、中村区役所の支援の現場では、ボランティアを常時募集しています。

中村区役所二階に設置された、臨時受付の様子。
中村区役所二階に設置された、臨時受付の様子。


●中村区役所の現場にいる参加者で確認した方針
・今後も、可能な限り毎日中村福祉事務所に行こう。
・ただし互いに協力をするが、個人の意思・責任でやるしかない。
・宿泊場所の紹介がなかった場合、区役所2階で寝場所を求める。退去命令が出たら撤退する。

●参加方法…
・毎日8時半に中村区役所に集合して打ち合わせをする。スタッフには首からカードを下げている人が多いです。

●現場でやっていること
 2階の受付と待合室にいる人たちにチラシを配り、声をかけ、話ができそうであれば話をする。生活保護の詳しいことを知りたそうな人には、資料を配る。生活保護申請、とくにアパート生活が可能な人は、「敷金支給によりアパートに入居したい」という申請書を出すように呼びかけ、その援助をする。 生活保護申請以外の方法についても希望があれば紹介する。

●近日中に「支援実行委員会」を組織する予定

●支援者講座(主催:東海生活保護利用支援ネットワーク)
・2月5日(木)19〜21時 愛知県司法書士会館(熱田区新尾頭1-12-3)金山駅から徒歩10分
生活保護制度について(法律家)
名古屋市の住居のない人への生保適用状況(藤井克彦)、など。


◇ ◇ ◇

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Esaman2009/01/24
名古屋越冬の最終日に「派遣切りの若者」に話を聞きました。その中の一人は駆け込んだ警察で、このまま追い出されたら、強盗をしてしまうかもしれない言うと私服の警察官が車で越冬会場近くまでおくって下ろしたそうです。

http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901230983/1.php

名古屋駅前で ホームレス・派遣切りの人たちへの義援金を呼びかけ・映像(2分58秒)

大量にあるタケノコの水煮。賞味期限は5月まであるものが多数。食品表示で問題があった、あるタケノコ屋からの寄付品。産地表示は中国
大量にあるタケノコの水煮。賞味期限は5月まであるものが多数。食品表示で問題があった、あるタケノコ屋からの寄付品。産地表示は中国
 年末年始と、取材してまいりました名古屋越冬。公園にテントを張り、たき火をして、役所も閉まり、寒さも厳しいこの時期を、みなで過ごします。今年で34回を迎えるこの活動、初日には「派遣切りの若者がいないか」というマスコミが大挙おしかけ、大変、迷惑、運営委員が苦言を呈する、という場面もありました。

名古屋越冬・マスコミが大挙押しかけ『派遣切りの若者は居ないか』等かなり迷惑する現場

 さらにマスコミは、ボランティアとして働いている若手スタッフに目星をつけて『お仕事はどうなりました』などと質問、またまた顰蹙をかったりしていました。

名古屋越冬・餅つき大会 越冬中に亡くなった仲間を追悼

 越冬は1月3日が最終日で1月4日の午前にはテントをたたんで撤収作業を行います。その越冬の最終日に、マスコミが執拗に探していた「派遣切りの若者」に出会い、話を聞きました。

●この日の越冬の様子

 この日、名古屋駅前で、ホームレスの仲間とともに街頭カンパが呼びかけられました。みんなで名鉄の商店街のある辺りに移動して(JRがある駅ビルと、名鉄の駅ビルの間の道)、街頭で呼びかけていました。この辺りは、名古屋駅周辺でも、もっとも人通りが多いエリアであり、宝クジ売り場があったり、屋台のラーメン屋があったりするところで、よく情宣活動をしている団体をみかけるところです。

 その場所に、オケラ公園から行列をつくって移動した、支援&ホームレスの仲間が並んで、あわただしく通りすがってゆく人たちに、呼び掛けます。

 「年末年始、失業したり、色々な理由によって、雨露がしのげない人たちがいます。皆さんから寄せられる暖かい支援によって、私たちの活動はなりたっています」と呼び掛けます。

 年末年始の忙しい時期、多くの人たちがあわただしく通り過ぎてゆきます。ですが、いろいろな人たちが、呼び掛けの募金箱に義援金を入れてくれます。家族連れや、若い人たちが目立ったのが印象的でした。

 募金をした、お子さんをつれた若い主婦の方は……「初めて募金した。毎年この時期にホームレスの人たちの活動があるのは、なんとなく知っていた。今年は、ニュースなどでも大きく取り上げられているので、気になっていた。今年は、見かけたら募金しようと思っていた。主人の仕事も去年から残業がなくなって家にいる時間が増えた。それはいいけど、仕事が減っていると考えると、けっして他人ごとではないと思う。」とのことでした。

 募金活動がおわると、一行は、オケラ公園(名駅前から、歩いて数分)にむかって、歩道をゾロゾロと歩いてゆきました。歩道を歩いている間、募金の呼びかけで使ったメガホンでなにか訴えており、事実上の『無届の歩道デモ』になっていましたが、誰も捕まらずの無事に帰りつきました。

 みなで、山積みになっているタケノコなどを食べながら、話をしていると、夜になりました。この日の募金の集計をみてビックリ。なんと9万2401円もあります。これは、ありえないほどの高額です。

 前回のカンパでも、4万近い額が集まり、その背景には、知りあいを車で駆け回って、カンパや物資を集めてくれた、ある団体職員の人がいたようだ、という報告を書きました。

名古屋越冬・ブラジルからの出稼ぎ労働者も参加し、ビンゴ大会で年越し

 今回のカンパは、なぜこんなに多いのでしょう? 受付で座っていた、越冬に初期から関わっているスタッフに、事情を聞きました。

 「確かに今年のカンパは非常に多いです。ここ数年は、合計で2〜3万円程度なのですが、10万以上集まっています。とても多いです。マスコミによっていろいろと報道されたことや、派遣切りなども話題になっており、心配をしてくれる人が多いのだと思います。大きなお札をカンパしてくれる人がチラホラみられました。街頭カンパ以外にも、いろいろなところから物資やカンパが集まっています。

 とくに、衣料がたくさん寄せられましたし、タケノコの水煮などもたくさん寄付してくれた所がありました。越冬を始めた頃は、街頭カンパで集まった額が、全部で2〜3000円という頃もありましたが、役割分担をして、駅前で組織的に呼びかけるようになってから増えましたが、今年はとても多いですね。」とのことでした。

 ホームレスの置かれている状況は、けっして他人ごとではないと思っているだけでなくて、具体的にカンバをする人が、増えている、ということでしょうか?

名古屋駅前でのカンパ活動。車椅子の人も参加。まだ正月なので普段の数倍の人通りがある
名古屋駅前でのカンパ活動。車椅子の人も参加。まだ正月なので普段の数倍の人通りがある

●「派遣切り若者」の話

 この越冬の最終日、たき火を囲んでタケノコを食べていると(たくさん余っている)、焚き火を囲んでいる人の中に、いつもは見かけない若い人が、何人かいることがわかりました。彼らは、マスコミが躍起になって探している「派遣切りの若者」でした。彼らと話をして聞いた内容を簡単に紹介します。特定を避けるため、一部話が入れ替わっている部分があります。

Aさん

 北海道出身。愛知県下で住み込み派遣として働いていた。12月の半ばに食を失い、2週間後の大晦日にアパートを追い出された。ネットカフェなどで泊まりつつ、仕事を探してみるが、みつからず。親元とは絶縁状態で、そもそも帰る金も無い。いよいよ、所持金が数百円になったときに、コンビニ強盗をする人の気持ちがわかる気がしはじめた。警察に駆け込み、そのことを話す。このまま追い出されたら、強盗をしてしまうかもしれないという訴えに、警察は車でAさんを越冬会場近くまで送って下ろしたという。そのときの車は、パトカーではなくて一般自動車、運転していた職員も私服の人だったという。名古屋の町並みは札幌の町並みと似ているが、雪がない分過ごしやすい。越冬には、色々な人がいて驚いた。いい人もいれば、よくわからない人もいる。とてもお世話になったので、次の越冬には、ぜひ支援する側として参加したい。

Bさん

 北海道出身。愛知県下で住み込み派遣で働いていた。体調不良のため、仕事を夏ころに一度失う。いつもなら、仕事はいくらでもみつかったが、このときはみつからず、以後、時々バイトなどをしつつ、ネットカフェなどを転々とすることに。短期の仕事がみつかるときもあるが、徐々に所持金の総額は低下。所持金が少なくなってきたので、泊まることもできなくなって、荷物を抱えて途方にくれていた所、通りすがりの人に越冬の存在を聞き、公園までなんとかやってきた。家がなくなっても、なんとか仕事を、と思って面接にも行ったが、どこも雇ってくれなかった。越冬が終わったら早速仕事を探したいが、手元には、現金も家もないのが不安。どんどん余裕が無くなっていくのがわかり、ホームレスになってしまった人たちを、自己責任だという人たちの無神経さが身に染みた。

Cさん

 住み込み派遣として、トヨタ関連会社に勤務。契約の更新は、いつも2年8ヵ月くらいだった。いつも通りに働いていたら、今年の夏ごろ、まず残業が無くなった。そして9月に入ると、勤務日も減るようになった。そして10月、12月には解雇になる、と聞かされる。10月ごろから節約をして、いまに備えるようになる。そして、12月に解雇。住んでいた家も無くなったので、名古屋駅周辺に出てきて過ごしている。12月にも働いていたので、1月にも、あと1回給料の支払いがある。でも、10月から節約して貯めたというだけでは、お金はたくさんあるというわけではない。どうなるかは不安。これでも、去年の夏には、沢山ボーナスも出たし、いい生活をしていたと思う。いまこんなことになるとは、全く予想できなかった。

 いまは、安いカプセルホテルに泊まっている。まとめて買うと、安くなるチケットがあるので、いまはそれでなんとかしている。なにもすることがないので、周りを歩いている時に、越冬を偶然見つけた。たくさんの人がたき火を囲んでいて驚いた。ずっとホームレスをしている人ばかりかと思ったが、そうでもないし、自分より若い人もいるとわかって驚いた。正月が過ぎたら、仕事を探してみたいと思っているが、どうなるだろうか。

Dさん

 北海道出身。北海道から出てきてある企業で働いていたが、事故を契機に辞めて、以来、10年近く、港湾労働などを中心に期間労働、住み込み派遣などを続ける。仕事が無い時期は短期間だがホームレスになるという状態を繰り返している。まとまった旅費も無く、仕事も安定しているわけでもないし、なにしろ帰ったところで仕事は無いので帰れない。ホームレスになっても、北海道と違い、すぐには凍死しないのが救い。しばらく我慢すれば、短期だが仕事は見つかる。仕事が無くなったら住む場所もなくなる。年末年始には、いつも仕事が無くなり放り出させるので、炊き出しや越冬にも、知っている顔がいるので、名古屋かその近郊にいて、ずっとホームレスをしていると思われているが、実はこの時期だけ。もちろん定職につきたくないわけではないが、健康問題もあり、なかなか採用の口は無いので、考えないようにしている。

 話を聞いた人の中で3人が北海道出身、という異常な高確率ですが、これは、取材者の自分がアイヌだからなどというオチがあるわけではなく(*)、実際に北海道、九州、沖縄などの出身者が、ホームレスや日雇い、住み込み派遣の人たちには、非常に多いのは事実です。

 特徴的なのは、みなさん、家がなくなってしまう、路上で生活するハメになる、などの危機的状況になっても、あきらめずに仕事の面接などに行っている、という事実です。みなさん、かなり『ガンバッテ』います。 派遣村などで大量のホームレス状態の人が発生していることに対して『なぜ仕事をしないのか』などと、あさっての意見をいう人がいますが、必死になって仕事を探して、結局みつからなかった、ということがわかります。ネットカフェを出て、荷物を全て抱えて面接に向かい、採用されずにまたその日の宿を探す……私たちは、このような生活に、何日耐えられるでしょうか?

 また、特に北海道出身者を探しているわけでなくても、北海道の人が多いという現象に、さながら、在日の人たちが朝鮮半島が日本領になったときに、色々な事情から『内地』に仕事を求めて移動しなければならなかったのと似たような植民地的な構造は残っているのだなぁと、再確認してしまった次第です。

 そして、越冬活動が終わり、一晩たった1月5日、中村区役所には、緊急宿泊所や、自立支援施設、病院、生活保護など、とにかく、なんとか行政に対応してもらおうという人たちの行列ができ、数日で行政の対応能力を超えパンク。支援と当事者による役所での泊まり込みに発展し、大問題となりました。

名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

 この問題は、いまでも全く解決しておらず、現在でも、連日100人ほどの人たちが、中村区役所の前で並んでいるそうです。 この『毎日並んでいる100人』が、数日しか出ない緊急宿泊所のチケットの再交付を求めて並んでいるのか、新しくやってきている人なのかは把握できていないようです。このような相談をする人は、例年であれば、多くて全体で数十人程度だったものが、連日100人を超えており、若い人も多数混じっているという状況です。これには、30年近く関わっている笹島界隈の活動家の人たちも『はじめて見る光景』とのことでした。

 名古屋では『派遣村』がなく、表面上、目に見えないだけで、規模としては派遣村と変わらないような、巨大な『難民』を街中や路上や高架下に抱えているのではないか、という気がしてきます。

 笹島連絡会や笹島診療所などの界隈の支援団体では、あまりの長期の活動で組織的に対応することが難しくなってきており、支援できる人の個人単位での参加を呼びかけています。前回の記事でもお伝えしたとおり、役所(市ではなくて区)は、パンクしてしまった緊急宿泊所のかわりに、希望者をアパートに入居させて、生保申請を、と言っていますが 『油断していると、なにをするかわからないので、監視する必要がある(笹島診療所の方)』とのことなので、中村区役所での支援活動は、しばらく継続するとのことでした。

名古屋駅前でのカンパ活動の様子。マイクを持っているのは、ささしま共生会の松本さん
名古屋駅前でのカンパ活動の様子。マイクを持っているのは、ささしま共生会の松本さん

●中村区役所の現場にいる参加者で確認した方針

・今後も、可能な限り毎日中村福祉事務所に行こう。
・ただし互いに協力をするが、個人の意思・責任でやるしかない。
・宿泊場所の紹介がなかった場合、区役所2階で寝場所を求める。退去命令が出たら撤退する。

●参加方法…

・毎日8時半に中村区役所に集合して打ち合わせをする。

●現場でやっていること…

 2階の受付と待合室にいる人たちにチラシを配り、声をかけ、話ができそうであれば話をする。 生活保護の詳しいことを知りたそうな人には、資料を配る。生活保護申請、とくにアパート生活が可能な人は、「敷金支給によりアパートに入居したい」という申請書をだすように呼びかけ、その援助をする。

(*)炊き出しなどの活動界隈では、私がアイヌであることは、みなさん知っていますので、特に北海道出身の人とは、話をする機会が多いです。また、私の多く接してきた『アイヌ』には『活動家』や『文化伝承者』ではなくて、北海道から出稼ぎに来て、色々な事情で帰るわけにもいかず、頼れる親類も内地におらず、当然アイヌとしての民族活動などにも全く縁が無く、なにもわからないし、政府の動向もアイヌのことも、全く知らない(文化振興法も、先住民族認定すらも)。

 住み込み派遣を転々、加齢と共に徐々に底辺化、というパターンが非常に多く、北海道に帰れない、帰らない、ことの理由が違うことが多いとはいえ、構造や現象としては酷似しているので、北海道からの出稼ぎ組みの人たちには、親近感を覚えるのも事実です(私自身は、そうではないのですが)。

 ですが今回、比較的『新顔』の人たちに話を聞いて、北海道の人が、依然として多かった、という変わらない事実が、きわめてショックであった次第です。なお、そのような(数世代前から繰り返されている?)構造に、やっとでマスコミも注目するようになったのでしょうか、名古屋の越冬では、北海道新聞の記者が継続して取材をしていました。


名古屋駅前の募金活動では92401円も集まった。こんなにも集まるのは異例のことで、数字が強調されている名古屋駅前の募金活動では92401円も集まった。こんなにも集まるのは異例のことで、数字が強調されている

◇ ◇ ◇

関連リンク 
笹島診療所
NPOささしま共生会

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映画「蟹工船」を観て、生き辛い社会を語り合う「カニコー」鍋開催。

Esaman2009/01/22

 映画「蟹工船」を観て、「カニ鍋」を囲んで、いまの生き辛い世の中を話し合う会が名古屋で開かれた。職業も年齢もバラバラだが、総じて低所得の15、6人が集まり、カンパで集まったお金で作った鍋の味は上々、体験談で会合も盛り上がって大成功だった。

http://www.news.janjan.jp/area/0901/0901210844/1.php

 「『蟹工船』鑑賞会…カニ鍋を囲んで『蟹工船』を語ろう。in 名古屋」が1月17日、「生・権力ガク会(なまけんりょくがくかい)」の主催で開催されました。この「ガク会」(まじめな「学会」と間違われないように、「ガク」なのだそうです)は、4月に名古屋で開催された「LOVE&ビンボー春祭り」を契機に結成されたもので、権力や社会矛盾を笑い飛ばすためのお楽しみ企画です。なにか楽しいことを一緒にやるため、友達をつくるために結成されたものです。

シネマスコーレのチラシ置き場におかれたカニコー鍋のチラシ

 共催相手として、P8貧困者末端会議、LOVE&ビンボー作戦本部、ビンボーアースデイ準備委員会なども名前を連ねています。ここしばらく、名古屋を中心に繰り広げられている、アヤシイ企画で暗躍している、有象無象な人たちが集まっています。

 「カニコー鍋」は、名古屋駅裏手にある小さな映画館「シネマスコーレ」が、モノクロ映画「蟹工船」を上映していることに便乗して企画されました。同映画館で「蟹工船」を観たあと、おなじく名古屋駅裏手にある「いこいの家」で鍋会を行う企画です。

 「いこいの家」は、古い民家を借りて、普段はホームレスの人など、いろいろなひとが過ごすことのできる施設として開放されています。また、笹島界隈の多種多様な活動団体が会合に使ったり、緊急の時には宿泊施設になったり、大きなイベントの際の遠来のお客のゲストムールになったりと、さまざまな場面で活躍している「寄り合い所」のような施設です。普通の古い民家なので、すこし、わかりにくい場所にあります。


 ・LOVE&ビンボー春祭り アースデイあいち2008 開催
 ・『あなたが生きている今そこが、世界の中心なのだ』P8貧困者末端会議 in 大輪祭り

上映後、鍋への参加者が集結中

 さて、この企画、まずはシネマスコーレ前での待ち合わせから始まります。シネマスコーレは、名古屋駅裏の、すこし小さな路地のようなところにある映画館で、アングラな作品を上映することの多い、「その筋」では有名な映画館です。

 今回の企画、シネマスコーレでの上映に便乗したものなので、シネマスコーレの人には話が伝わっているものと思っていましたが…。実は、まったく伝わっていないとのこと。ですが、企画の内容を話すと、スタッフの方は笑ってチラシを映画館のチラシ置き場の机に置いてくれました。

 アホな企画だと笑われたのかもしれませんが、これにはひと安心。シネマスコーレでは、蟹工船を上映している同じころ、ドヤの労務者の実態を描き、暴力団により監督が2人も殺されて、なかなか上映されない映画 「山谷─やられたらやりかえせ」も上映されているとのことでした。あの『靖国』も上映中です。要チェックの映画館です。

 『カニコー鍋』のチラシを大きく伸ばしたたものを持って主催者が待ち構えていると、ボチボチと参加者が集まってきます。集まった人たちは10人ほどですが、企画を知ることになった経緯は、口コミ、メールニュース、FAXニュース、手紙など、いろいろな経緯だったようです。年齢層もバラバラ、職業もバラバラでした。上映時間になり、映画を観ました。

カニコー鍋の材料。低予算企画なので「おつとめ品」が目立つ

 今回上映されている「蟹工船」は、1953年のモノクロ作品で、小説の『蟹工船』とは、ややストーリーが異なるものです。ここでは、作品の荒筋などは省いて、印象を少しだけ書いておきます。

 ◇登場人物の背景、とくに、いろいろな経緯の「貧困者」が集まっていることが、よく描写されていました。
 ◇特に船内のゴミゴミした感じ、不潔な感じが、丁寧に描写されていたと思います。
 ◇時代的なものでしょうか? 役者による演技に重きがおかれていて、役者たちの演技も、昨今の作品と違い、力が入っているという感じがしました。
 ◇船内のというべきか、世代としてというべきか、人が集まったときに、歌ったり踊ったりすることが「娯楽」となっていた時代(世代)が描写されており、印象的でした。
 ◇原作の「蟹工船」の知識がないと、少し消化不良になるかもしれません。
 ◇「バット2本」の誘惑というか、存在感を、もう少し強く書いてほしかったです。
 ◇弾圧されたあと、再び決起するまでの話が描かれていないのが、残念です。

 さて、映画を見終わった後は、いよいよ「カニコー鍋」です。会場は、なかなか分かりにくい場所なので、筆者が先導して移動しました。シネマスコーレのある場所は、食堂などもあり、少しは街の雰囲気がありますが、少し道をそれると、一気にさびしい感じとなります。街灯の少ないエリアを少し進むと、中村区役所の近くに「いこいの家」があります。

 さっそく、市内を走り回って確保した「活きガニ」や野菜などの食材を、みんなで調理します。ここで問題が発生。

 貧乏人の集まりだからかどうかは分かりませんが、「カニ鍋」を食べた事のある人が、ほとんどおらず、どうやってカニを調理してよいのかがわからず、少し混乱しました。最終的には、安い活きガニが見つからなかったときに誤魔化すために買っておいた「カニ汁用のスープ(カニエキス入り)」の裏面に書いてあった通りにカニをさばいて準備OK。さばいたカニの心臓が生きていて一同仰天。入れる野菜とカニの順番で意見が分かれる、などの障害を乗り越えました。

 また、解体係りの人は、新鮮なカニであったために、解体していて手にヌルヌルしたものが付き、なかなかとれなかった、こんな作業を一日中やっていたら気が狂うよ、とのことでした。こんなことからも「蟹工船」での労働の様子を、ほんの少し想像することができました。

 そうこうしているうちに、さらに何人かが合流、参加者は15、6人になりました。思いつき企画として始めたものながら、思わぬ大所帯になりました。

 鍋を囲みながら、順番に自己紹介。無職の人、元ホームレス、OL、団体職員、非常勤職員、日雇い労働者、生活保護受給者、会社員、契約社員、鍛冶屋、教師など、いろいろな人がいました。ですが、みなさん低所得という点では、ほぼ共通しているようでした。平均所得は、生活保護基準と、似たようなモノなのではないか、という話で盛り上がっていました。中には、明らかに生活保護水準よりも所得の低い人も、何人かいました。

 また、路上鍋の話、路上生活の話、活動の話、職場のヒドイ話、派遣切りの話、非常勤イジメの話、米の炊き方、バレンタインデー粉砕の話、チョコ供養、映画の話、名古屋市の公金の使い方など、いろいろな話題で盛り上がりました。肝心の「カニコーの話」は、あまり出なかったようでした。

 こうした中で、特に印象に残った話としては、

 ◇いつも、仲間と路上鍋をやっています。駅前とか公園とか。「野宿」とか「野糞」みたいな意味で「野飯」と呼んでいます。「野飯」は、いろいろな人と出会えて楽しいけど、冬場はさすがに寒くなってきたので、屋根のあるところでやりたい、という話をしていて、カニコー鍋の計画が持ち上がって、よかったです。やっぱり、屋根があるというのは、いいことですね。やって楽しいことを続けていきたいです。(無農薬農園を作っている人)

 ◇蟹工船は、自分が若いころに流行っていた映画です。でも当時は、政治的なメッセージが強すぎるというか、あからさまというかで、観たいと思いながらも、結局観ていませんでした。最近、時代がめぐりめぐって、若い人の間でも、再び蟹工船のことが話題になってきていると聞いています。今日は、試しに来てみたのですが、若い人がたくさんいて、本当なのだと思いました。来てよかったです。あの映画には、いまでは考えられないほど、いい俳優が出ています。観られてよかったです。(教員)

 ◇「初めてカニ鍋を食べました。外で食べるよりも、いいものが食べれて、安くていいです。こうやって集まって鍋を食べる機会が、最近はなくなってしまった気がします。(無職)

 鍋は当初、「カニ汁用のスープ」を使おう、という話でしたが「本物のカニだけの味を知りたい」という要望が出て、活きガニと野菜だけで鍋を作りました。さすがにおいしかったのか、一瞬で鍋はなくなり、次はカニ汁用のスープの鍋(ボイル蟹入り)、タラのアラ鍋、ブリのアラ鍋と続いて作りました。自家製の甘酒や豆腐、ハンゴウで炊いたご飯も出て、最後は「ブリカニ雑炊」をみんなで食べました。半分くらいは、捨てる部分で作った鍋でしたが、味は大変よく、好評でした。

 このカニコー鍋のカンパは「累進課税」で行われ、所得の高い人(自己申告)が、たくさん出してください、という呼びかけで行いましたが、本物のカニも買え、おいしいし、外で食べるよりも安い、ということで、それなりにカンパが集まり、なんとか赤字にはなりませんでした。

 次は「バレンタインの頃に、なにかをしよう」という話が出ていました。


【関連リンク 蟹工船
映画「時代を撃て・多喜二」と『蟹工船』2008/06/05
映画「蟹工船」を見て2008/05/29
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【関連リンク 名古屋の動き】
新春早々名古屋で「ハツモウデモ」―鍋サミットも開催2009/01/06
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(下の写真はクリックで拡大します)
みなで準備中。蟹の加工が大変だった。すこしだけ蟹工船の気分みなで準備中。蟹の加工が大変だった。すこしだけ蟹工船の気分
「いこいの家」の玄関に張られた鍋の案内。いつもは11〜4時の間、開いている「いこいの家」の玄関に張られた鍋の案内。いつもは11〜4時の間、開いている
出来上がった鍋を囲む出来上がった鍋を囲む

蟹鍋。このカニはロシア産。カムサツカ沖から来たのだろうか?蟹鍋。このカニはロシア産。カムサツカ沖から来たのだろうか?
食べた後のカニと、タラ鍋。カンパにはお札が多かった食べた後のカニと、タラ鍋。カンパにはお札が多かった
鍋が煮えるのを待ちながら話し合い。年齢も様々だ鍋が煮えるのを待ちながら話し合い。年齢も様々だ

名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

Esaman2009/01/20
すでにマスコミなどでも報道され、国会質問までされている事件なので、ご存知の方も多いであろう「名古屋での野宿者対応」について、1月15・16日と現場に行って話を聞きました。

http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901170596/1.php

中村区役所2F、ホールの廊下の様子。すでに大半の人がアパート入居のために移動してまばらだか、14日の夜は大勢泊まり込んでいたとのこと。1月15日夜。
 ですが、中心となって頑張っている、笹島診療所の藤井さんをはじめとするスタッフは、連日の徹夜作業で大変疲れており、細かい数字などをまとめて発表する作業が、全て行き届いているというわけでもありません。

 参加をして、スタッフとしても少し手伝い、いろいろと見聞きした断片的な情報をもとに、時系列と相談人数を、わかる範囲で紹介します。

 ここで紹介する数は、連日参加している人に聞いて、話が前後しているものを、なんとかまとめてもので、正確ではないかもしれません。また、連日の混乱で、主催者も正確な数を把握しているとは限らないと思いますので、あくまで参考程度の数と思ってください。

●1月5日:役所の仕事はじめの日、朝の時点で40人を超える。最終的には80名ほど?
●1月6日:午前だけで100名を超す。
●1月7日:100人以上いたところに、一時宿泊施設の船見寮からの片道切符で60人が加わる。宿泊所は完全にパンク。民間社員寮への対応が始まる。
●1月8日:相談者に、さらに30名加わる。総数は200を超えた?
●1月10、11、12日:役所が休み。
●1月13日:名古屋市が、緊急宿泊所としての社員寮は以後紹介しないと発表。11名のみカプセルホテルに。紛糾。泊まり込み開始される。相談者は131名?
●1月14日:60名強増える。泊まり込みも継続。相談者は107名。追い出そうとする行政との間に押し問答が発生。マスコミに報道される。
●1月15日:夕方になって「市ではなく区が」6ヵ月のアパートの入居と生保の対応を開始。30名ほどがその相談に行く。相談者は100名?
●1月16日:午前だけで60人以上の相談者。

 まず5日ですが、前日の午前に越冬のテントが撤収をしたので、その晩はなんとかどこかで過ごした人たちが、中村区役所に集まってきました。

 とはいえ、例年参加している人の話では、役所の仕事はじめに申請にいく人は、毎年10人未満程度だったものが、この日は数十人も並んで、大変なことになったそうです。

 行く場所がないので行政は「緊急宿泊所」として、カプセルホテルを手配。13名が宿泊したとのこと。

 これ以後、笹島周辺に少しのこっている安いドヤ(1,800〜2,100円ほどの宿泊施設)を紹介されたり、市の施設や借り上げた施設にその晩は泊まる、ということになったようです(全員ではない?)。

 「派遣切り」ではじめて行き場がなくなった人たちは、お金がなくなったとしても、野宿生活をある程度経験しないと、炊き出しの場所や、利用できる制度や申請の仕方などはわかりません。

 そこで笹島界隈の関係者人たちは「来た人は全員どこかに入れる」をスローガンに、名古屋駅前でチラシまきをしたり、名古屋駅周辺で呼びかけを行ったとのことでした。

 6日、午前だけで100名を超す人たちが押し掛けて、役所の窓口もパンク状態、緊急宿泊施設も、パンク状態に。

 なんでも、すでに船見寮(港の人気のあまりない地区にある大型の宿泊施設)に泊っている人で、なんらかの対応(詳細は不明。生保獲得?入院?)で出て行った人の分を、緊急宿泊所に止まっている人を入れて……などと対応していたようで、対応は遅々として進まなかったようです。

 7日、百数十人を超える、すでに並んでいる人のもとへ、年末年始の一時宿泊施設である船見寮(281人が最終日まで入所していた)から、大量の人たちが合流(60名ほど?)。相談者は107名?(早朝の午前4時ころから9時ころまで、船見寮と名古屋駅をバスでピストン輸送して、人を片道切符で送り出す、というのは毎年行われていることだそうです)。

 既存の緊急宿泊施設が、完全にパンクしてしまったこの日から、行政は民間の社員寮?を、緊急の宿泊施設として紹介し始めました。その寮は「鶴里」という、少し郊外に出たところにある建物で、詳細な経緯もわからないので、界隈の人には「ツルサト」という名前で呼ばれることになりました。「ツルサト」は、4階建なのですが、4階にしかトイレがないなど不便な点が多く、加齢や野宿生活、栄養失調などで、足の弱くなっている人も少なくないので行政への要望もいろいろと出ていた、とのことでした。

 8日、数百名を超す相談者達に、さらに30名ほどが合流。総数は200名を超えていたのではないか、とのことでした。この日が金曜日で、土日月と役所が休みになるので、緊急宿泊施設にも何日か泊まる人が出た、とのことでした。

 行政の「緊急宿泊所」の対応ですが、当初は1日づつしか認めなかったが、マスコミも市民も沢山見に来ていることに配慮してか、途中から、2〜3日づつ出すようになり、人が集中して並ぶことが少なくなってきた、とのことでした。

 9日、あるお年寄りは、民間のやっている福祉寮のようなものを紹介されて、そちらに行ったものの、時間が間に合わず、結局戻ってくる、という状態になった模様。

 また現場に特攻服を着た右翼のような人が見に来ていたとのこと。貧困ビジネスをしている人か、野次馬かは不明。この日、名古屋市長が東京に飛んでいって、名古屋の事態を説明。

 13日、この日から相談者が「切られ始めた」。相談者は、支援が把握している限りでは131名。11時、行政は緊急宿泊施設が満員になり、これ以上紹介はできないとの張り紙を張る。市側「もう限界だ」。21時すぎ、追い出そうとする市の職員ともみ合いとなる。22時半、翌日話し合いの場をもつことで合意。泊まり込みが開始される。大量の毛布などが運び込まれ、泊り込みをしているところに、共産党の人たちが宿泊代をカンパすると登場、それでも、何人かは支援者と共に残り、泊り込みました。

 この日に緊急宿泊所に入れた人は、カプセルホテルに11人?だったそうです。その日に宿泊所に泊まれるかどうかは、その日の午後の遅い時間にならないとわからず、大変なことになったようです。30人以上が、宿泊所に泊まれなかったとのこと。

 この日にあった、行政職員とのやりとり。

行(窓口の行政の人):「本日はもう空きがないので、また明日お越しください」

笹(笹島の支援者と当事者):「また明日といっても、みんなうちがなくて野宿するしかないんですよ」

行:「知りませんでした。明日またお越しください」

笹:「明日までどうしろというんですか。野宿しろというんですか」

行:「知りません」

 14日、60人強の人たちが、新しくやってくる。支援の把握している相談者は107名。4時間にわたった交渉では、支援者側は、7日まで利用していた船見寮の解放を要求(定員500名)。市側は老朽化を理由に拒否。交渉は物別れに終わり、この日も泊まり込みが行われた。緊急宿泊所92名、ツルサト(社員寮)71名、紹介なし15名。

 15日、夕方、筆者が現場に行く。支援の把握している相談者は100名。「新しく紹介はできない」としていた行政は、夕方に、一転してアパートを紹介すると発表。ただし、面子の問題なのかどうかわからないが、この対応は、名古屋市ではなくて中村区がやっているとのこと。

中村区役所2Fホールの壁に張り出された、15日から開始することになったアパート入居の説明と、それぞれの「アパート」の案内。1月15日夜。
 それは不動産会社が経営している、生活保護の福祉アパートのようなもので、市内にいくつかあり、家賃は2万5,000〜3万5,800円(生保の上限額)。管理料などを含めて、10万強出せば3食付きとなる。生保を取って入った場合、手元に残るお金は2万円くらい。食事の用意がなければ、光熱費、管理費など込みで6万強ほど、というものでした。もちろん、そんなお金などないので、みんな並んでいるのですが……。入居後、生保をとれるという保証があるわけではないそうなので、大丈夫な話なのかな、という話でした(なにぶん、発表されて間がないですし、実際に入居した人の話も聞けていないので、詳細は不明です)。この日は、残っていた30名ほどが、その「アパート」を紹介されて行ったようだ、とのことでした。

 またこの日は、役所の対応として切られて、帰る家のない人は居なくなったので、泊り込みそのものは行いませんでした。ですが順番待ちがとても多かったので(整理番号が90以上)、その間に仕事の面接に行って、戻ってきたら窓口が閉まっていた、という人もいました。

この日は午前だけで、60人を超える人たちが列を作っていた。1月16日朝。

 16日、朝、筆者が現場に行く。午前中だけで60人。行政もお茶を用意したりしていました。また、ご飯を配っている人たちもいました。行政は、相談者たちに「カンパン」のようなものを提供していましたが、乾いているモノですし、年寄りもいるので、それだけでは困る、ということで、お茶も出るようになったとのことでした。筆者が参加した時にも、朝、あたたかいお茶を入れたポットが2つ出ていました。

 朝から現場には、たくさんの相談者がひしめいており、その人たちに、2階ホールに急遽設置された机に座った職員が、整理番号を渡していきました。その向かいの机には、色々なチラシを置いた机があり、診療所のニュースや、名古屋市の臨時職員募集の案内にまじって、生活保護の申請書まであります。

 整理番号順に呼ばれるのか、と思いきや、そうでもないらしく、病院などの対応が必要なひとが優先して呼ばれるとのことでした。番号を呼ばれた人は役所にいって『相談』をしますが『水際作戦』にみられるように、行政は色々な理由をつけて、生活保護を申請させないようにしたりするので、とにかく、申請書を渡すことが大切だそうです。一人で不安な人には、支援者が付き添っていました。

 生活保護の申請をした場合、手続きの2週間の間『働く意思があるか』ということで、申請者は、職安に行ってハンコをもらってくる仕事があるそうです。ですがその場合も、職安や面接にいく場合、事前に役所に相談して、交通費などをもらうことを忘れないように、とのことでした。

 また、この機会に病院に通っておくことも大切なので、内科や歯科など、それぞれの科に1日かけて通うこともコツである、という話を、支援の人がしていました。

 確かに働きはじめると、医療費の負担も大変ですし、特に野宿を少しでもしていた人や、高齢の人は健康を害していることが少なくありません。不安定な生活を強いられている若い人も、同様でしょう。

 また、中村区役所にはシャワーが2部屋あるのですが、待ち時間の間も、それを利用して温まることを勧めていました。野宿をし始めると、なかなかシャワーは使えませんし、チャンスがある時にに、温まっておくことは、とても大切です。これらは、たいへんな知恵だと思いました。

 この日は、派遣切りで家も失って、しばらくネットカフェなどに泊まっていたが、お金が無くなってしまった若者、年金があるものの、家が無く、野宿をしているご老人、派遣切りではないものの、もう半年近くも仕事が無くて困っている、長く日雇いで働いていた人などが、相談の列に並んでいました。

 越冬や炊き出しと比べて、全体的な特徴としては、年配の人も多いのですが、若者が混じっている率が、だんだんと高くなってきている、という点です。

 おそらく、年末に派遣切りをされた人たちは、しばらくは手元のお金で、ネットカフェやカプセルホテルを渡り歩いていると思います。切られた時期によっては、1月にもう一度、賃金の支払いがある人もいると思います。そのような人たちが、手元のお金を使い尽くして、本当の意味で『路頭に迷う』状態になってゆく例は、これから徐々に増えてゆくのではないか、と思いました。
◇ ◇ ◇

非正規雇用と人権・貧困問題

新春早々名古屋で「ハツモウデモ」―鍋サミットも開催

Esaman2009/01/06
年明け早々の1月2日、名古屋越冬が行われている西柳公園前を出発点として、大須観音に初詣に出かけるという「ハツモウデモ」が行われました。呼びかけたのはNPOの非常勤職員の柴田太陽さんです。

http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901050760/1.php

名古屋「ハツモウデモ」・映像

伏見に向かうデモ隊。背景にヒルトン名古屋が見える。

 年明け早々の1月2日、名古屋越冬が行われている西柳公園前を出発点として、大須観音に初詣に出かけるという「ハツモウデモ」として「1.2、新春早々やっちゃえデモ」が行われました。主催者は、「1.2新春早々やっちゃえデモ実行委員会」です。

 この実行委員会をイキナリ結成したのは、職場でも大変な目に会って、ヨロメキながらも頑張っている、NPOの非常勤職員の柴田太陽さんです。

参照:
『KY解雇』が発生? 名古屋市の施設の指定管理者交代のその後

 開催の趣旨は、派遣切りなどで社会情勢も悪化、格差は拡大、職を失った人たちには自己責任という罵声が浴びせられ、悲惨な事件も相次ぐ世の中。

 さらには、柴田さんの職場も、人を人とも思わない全国組織による動員で人心は荒廃しきっている、という現実に対して、少しでも「楽しいこと。外に出てみようかなと思うこと」をしたかった、ということだそうです。

 面白そうな話だったので、筆者も一緒にデモをすることにしました。なお、今回のデモ隊の出発地点は、越冬が行われている西柳公園(通称・オケラ公園)ですが、思いついたのが、イキナリで越冬直前であったため、笹島界隈で長年活動している人に相談をして、越冬実行委員会とは別に呼びかけた、とのことでした。出発地を西柳公園にしたのは、越冬に便乗、というよりは、長年の越冬活動に敬意を表して、ということだそうです。

 12時30分頃、出発会場である西柳公園の入り口、横断幕などが張られている場所に、すでに「ハツモウデモ」という、ヘンな企画に興味をもった、少しノリの良い人たちが集まっています。

 顔ぶれは、名古屋のデモなどでいつも見かける楽器をもった人たち、越冬で活躍する支援の人、名古屋で「路上鍋」を開催している人たち、駅前で路上でお店を広げている若者、パンクな感じの人、自然農をやっている人……勿論、越冬に参加しているホームレスの仲間もいます。

 今日は何人くるのかな……と思っていたところに、広島在住の、さとうしゅういち記者から「いま名古屋駅」との電話がありました。なんでも、時間が出来たので、ぜひ参加して取材したい、とのことで、かなり嬉しいハプニングでした。

参照:
生存権確立願い、名古屋で「初詣デモ」行われる

 まだまだ出発には時間がありますが、楽器をもってきた人たちがセッションをしたり、鍋やオタマをもってきた人が、それを楽器にして歌ってみたりと、にぎやかになっています。なんだか、よくわからないが賑やかになったので、越冬に参加している仲間も覗きに来ます。

 主催者の柴田さんが趣旨を説明。

 「これから、初詣に出かけて、みんなで参拝しましょう。ついでにデモをしましょう。甘酒も用意しました。でも甘酒くらいしか出ないので、そんなに期待しないでください。面白そうだと思った人は、気軽に参加してください」

 と呼びかけていました。

 そうこうしていると、警備の警官の人たちがやってきましたが、人数は少なめです。全部で5人もいたでしょうか? 新春早々なので、あまり部下に仕事をさせたくなかったのか、ちょっと役職が上そうな人も来ていました。

 デモの主催者が、なんだか新春早々、すいませんね〜と挨拶、警察の人たちも、なんだか苦笑い気味のようでした。今回の企画は、結構ヘンな企画ですが、麻生亭ツアーのときのように、コース上に機動隊が待ち伏せしていたり、私服警察が目に見えるようにウジャウジャ居る、というわけでもなく、なんだかホノボノした感じになっています。

 野宿の仲間の一人が「野宿者を利用するな! 参加したら何かあるのか?」と声をかけてくる、というハプニングもありましたが、これは、人を介した情報の伝わり方に誤解があったようで、主催者の柴田さんが趣旨を直接説明。

 今回のものは、越冬を応援しようと思って企画したもので、炊き出しは無理ですが甘酒も出るよと説明したところ、とくに問題もなく収まったようです。

 なんといいますか「こういう業界」では、噂が噂を呼んだり、違う話がごちゃ混ぜになったり、伝達されるうちに違う話になっていたりして、意味もなく対立や喧嘩があったり、それが主導権争いに利用される、ということが、かなり多いと思います。

 それが嫌になって去ってゆく若い人も多いと思いますが、今回は柴田さんの対応もよかったせいか、とくにそういうことにも発展しなかったようですが、なかなか難しい問題だと思います。

取材陣に囲まれる柴田さん。このために「甘酒」を会場に忘れることに……。

 そうしているうちに、次第に報道陣も集まってきて、主催者の柴田さんを囲んで、いろいろと取材をしはじめました。そして、準備がまったくできなくなる、というハプニングも発生しました。どうも、自分の企画した、かなりいい加減な企画に、こんなに報道陣がくるとは思っていなかったようで、想定外のことだったようです。

 柴田さんがマスコミ対応に追われている間、自分も含めた、当日初めて顔をあわせた人たちで、準備をなんとかやりました。ダンボールとブルーシートで出来た「獅子舞」が疲労されたり、参加者の人が書初めを始めたり、便乗して演説をする人も現れて、会場は、なんだか混沌としていました。

 そのうち、外国人の人たち、チラシと旗を付けた自転車、台車にデコレーションを付けた人などもやってきて、相当ヘンな集まりにてきあがっていきました。

 もうそろそろ出発、という時間になっても、さとうしゅういち記者が現れません。電話をしてみると、なんでも会場の西柳公園に行こうとして、タクシーにのって、かえって道がわからなくなってしまった、とのことでした。

 地図を掲載した下記記事でも紹介したとおり、西柳公園は、名古屋駅のスグ近くとはいうものの、非常にわかりにくい場所にあります。タクシーに乗ると、一方通行などもあり、かえって時間がかかってしまいます。

参照:
名古屋越冬・マスコミが大挙押しかけ『派遣切りの若者居ないか』かなり迷惑する現場

 さとうしゅういち記者は、記事の地図をプリントアウトしてくるのを忘れたそうで、大変なことになってしまいました。なんとか、デモ隊の出発直前に、西柳公園に駆け込むことが出来ましたが、みなさんも、西柳公園に行きたいときは、気をつけましょう。

デモ隊の出発の様子。先頭は、さとうしゅういち記者の「ダンボール獅子舞」だ。噛まれると1年間解雇されない御利益がある?!

 駆けつけてきた、さとうしゅういち記者に、ダンボール獅子舞の衣装をかぶせて先頭に押し出し、デモ隊は西柳公園前を出発しました。錦通り沿いに、西柳市場の脇をとおり、デモ隊は進みます。

 西柳公園は、構想の入り口のスグ脇にあるのですが、新春のためか、車はあまり通っていません。ガランとした車道を、まばらな警察に守られつつ、自転車や台車を引いたヘンな一団が、楽器を鳴らしながら通り過ぎていきます。

 統一したシュプレヒコールはなく、マイクを握った柴田さんが

 「だい、だい、だいめーわーく、水際作戦だいめいわーく」

 「どうなったぁー、どうなったー、小泉改革どぅなったぁー」などと、調子のよい音頭をとりながら歩きます。

 その後を、鍋やフライパンをたたく人、ハーモニカを吹く人、自転車にラジカセを搭載した「サウンド自転車」を押す人などが続きます。

 堀川をわたり、伏見に向かい始めると、けっこう風が強くなってきました。伏見が近づくと、人通りもやや多くなってきます。通行人の人たちは、新春早々出現した奇妙な一団をみて、驚いたり、携帯で写真を撮ったりしていました。

 伏見の交差点を曲がると、KY解雇事件などで、労組と経営者側が労使紛争を戦っている「なごやボランティア・NPOセンター」が見えてきました。センターに近づくとシュプレヒコールを行いました。

 「なごやボランティア・NPOセンター所長・松垣芳伸は、不当労働行為をやめろー」

 「NPO法人ワーカーズコープは、働くものの権利を尊重しろー」

 このシュプレヒコールは、参加者の多くが一緒に叫んでいました。おそらくは近所に住んでいる人でしょう、犬を付けた奥様のような感じの人が(伏見地区は都心部で家賃が高いのです)、新春早々のシュプレヒコールに驚きつつも、労働問題のコールだとわかってか、手を振ってくれたのが印象的でした。

 なごやボランティアNPOセンターを超えると、スグに大須観音のあるエリアに入ります。大須観音の手前の歩道橋のある場所で、デモ隊は解散、甘酒を配って、それぞれ参拝をする予定でしたが、参加者もマスコミも一向に解散しません。

 ここで問題が発覚、柴田さんが用意していた「甘酒」を、なんと会場に忘れてしまったとのことで、急遽取りに戻ることになりました。その間、マスコミの方と参加者はそれぞれに話をしています。

 そんなに人数が多くはないとはいえ、こんなところに集まっていていいのかなー、と思いましたが、警察の人たちはすぐに帰ってしまって、怒られそうにもありません。

 ですが、それでも通行の邪魔になりそうだったので、その場にいる人たちで相談して、近くの公園に移動、参拝後、仲間内で鍋をしたかったので、いろいろと用意してくれていた人がいたので、それに便乗して、鍋サミットに突入することになりました。

 急遽、鍋サミットとなった会場は、大須演芸場の裏にある小さな公園で、なんでも古墳の一部(?)が残っているところ、のようでした。ここで、マスコミの人たちも含めて一息つき、いろいろと話をしました。いろいろと話をきいてみると、参加者の中には、工場長をしていて、最近、部長に昇進したところ、1週間ほどした頃に、昼休みから戻ってみると、会社が倒産していて、それ以来、無職の人。スリランカから出稼ぎにやってきて、もう10年以上になるが、ここしばらくまったく仕事がないので、お金がなくなる前に帰ることにした人。派遣労働で解雇されて、住むところがなくなってしまった人。10年以上も野宿をしていて、いろいろと名古屋のことにも詳しいご老人。若い頃は公務員をしていた、ほとんどホームレス状態の人。そして、東京や広島からの参加者など、いろいろな人がいることがわかりました。

 また、取材にきていた報道陣のなかにも、実は派遣として仕事をしていて、いつ職を失うのかわからない。取材をしながら、本当はデモ隊の中にはいったほうがいいのではないか、と考えていた人もいたことがわかりました。この話には、参加者の多くもビックリしていたようです。

 甘酒と鍋で温まったあとは、西柳公園に向けて、一緒にとぼとぼと歩いて帰りました。

※以下の写真はクリックで拡大します。




 「ハツモウデモ」出発前(西柳公園前)。  「ハツモウデモ」出発前(西柳公園前)。
伏見交差点に到着。自転車に傘をつけ書初めで飾った「サウンド自転車」が見える。 伏見交差点に到着。自転車に傘をつけ書初めで飾った「サウンド自転車」が見える。
なごやボランティア・NPOセンター前を通過。背後に見えるビルの12階にある。なごやボランティア・NPOセンター前を通過。背後に見えるビルの12階にある。

デモ後、流れでいきついた公園で、記者会見をする柴田さん。デモ後、流れでいきついた公園で、記者会見をする柴田さん。
「鍋サミット」の様子。いろいろな人が参加している。 「鍋サミット」の様子。いろいろな人が参加している。
「サウンド自転車」に張られた書初め。「金ネー」「おめでとう」「ありがとう」等、よくあるデモのメッセージと違う上に、脈絡がない。「サウンド自転車」に張られた書初め。「金ネー」「おめでとう」「ありがとう」等、よくあるデモのメッセージと違う上に、脈絡がない。
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非正規雇用と人権・貧困問題

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