沖縄復帰の是非を巡って活発な意見交換(JANJAN記事)

Ainu_puyarA2005-05-18


沖縄復帰の是非を巡って活発な意見交換 2005/05/18

http://www.news.janjan.jp/living/0505/0505167067/1.php

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 5月15日「基地の島オキナワから沖縄(ウチナー)へ。沖縄復帰33年、戦後60年、さよならニッポン」と題した集会が、大阪大正区のホール、アゼリア大正で行われました。会場となった場所は、大阪でも特に沖縄出身者の多い地区である大正区の真ん中にあります。観光マップなどに「沖縄タウン」などという紹介をされていることのある地域です。

 会場には在阪沖縄人を中心に、日本人など100名を超える様々な人々が集まっていました。パネラー達の言葉で、筆者の印象に残ったものを一部、紹介します。

辺野古での反基地運動が粘り強く戦っていて、基地を他の場所に移転するという話も出ている。嘉手納や下地が狙われているが、下地などは空港を軍事利用しないという覚書があって、歯止めになっているが、それを覆す為に、地元から誘致決議を出させようという画策がある」

「沖縄が日本に「復帰」したころから、沖縄の自然は目に見えて破壊されていった。いまの人達は沖縄を美しいというが、かつての島はもっと美しかった」

「日の丸・君が代が出てくると教師達は文句を言うし、教え子を戦場に送るなとも言う。だとしたら、復帰の時に日の丸を振らせた事はなんだったのか、考え直す必要がある」

「最近の言葉にイラナイチャーや、ジャマトンチュという言葉がある。これらは、すこし前はなかった言葉。沖縄ブームにより沖縄好きな人達が沖縄を闊歩しているが、必ずしも歓迎されているわけではない」(以上全て、目取真俊

「自分たちが大阪に来た時、沖縄青年の自殺や犯罪が話題になっていた。事実、会社での待遇は悪かったし問題も多かったので、危機感を持って青年運動をはじめた。何十年かたったが、そのころ自分たちが課題にしていた問題は、根本的にはまだ解決してはいないと思う」(諸見里宗博)

「未来を信じて返還運動(沖縄の本土復帰のこと)を闘ったが、いまとなってはその結果に落胆している」(伊差川寛)

「復帰を契機に、新しい植民地支配が始まったといえる。今後の課題は沖縄と日本の間の平等の実現。それは全体の75%も沖縄に集中している基地を、日本の各県に持ちかえる事だ」(野村浩也)

 このように白熱したパネラー達の発言を受けて、「この際、沖縄の人達は独立したらどうですか」という会場からの発言に対し、「自分たち日本人の引き起こしている問題なのに、反省もせずに無責任なことを言わないでほしい」という厳しい意見の出る一幕もありました。

 引き続き会場では、実際に銃剣とブルドーザーによって家を追われた人の体験談や(比喩でなく言葉の通りの現実があったことに驚きます)、「沖縄に基地がなければ日本が困る」という、ある意味「わかりやすい」言葉を、大阪でも日常的に言われるという話も出ていました。

 復帰の是非を巡っての年配の方の発言に答えて、ウチナーグチでの意見交換が交されることもあり、とても内容の濃い1日になっていたと思います。

 このような集会を開けることに、とても大きな「人の集まる力」を感じました。特に、パネラーよりかなり年配の方々の参加のあることや、反対意見もしっかりと出ている所に、呼びかけの広さ、集まりの逞しさを感じます。今後に期待したいと思います。


◆筆者ブログ
http://expo.greenaction.info/dmarket/blog/edaichi (Esaman)