『ザイニチ』の存在感に触れた1日〜在日朝鮮人作家をよむ会30周年記念の集い (JANJAN記事)

Ainu_puyarA2008-04-05


Esaman2008/04/05
在日朝鮮人作家をよむ会は1977年に発足し、在日コリアンと日本人が協働して進めてきた「文学」の会です。3月23日の集で第352回を迎えるたいへん息の長い会です。このほど、30周年記念の集いがありました。パネラーの皆さんの意見を紹介します。

http://www.news.janjan.jp/area/0804/0804034147/1.php

マイクを持って話す磯貝治良さん。会場には、さまざまな年代の人たちが40名ほど集まっていた。
目次
1.「在日朝鮮人作家を読む会」30周年記念の集い
2.ノリパンの演舞に思う

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在日朝鮮人作家を読む会」30周年記念
 「在日朝鮮人作家を読む会」30周年記念マダン〈在日〉文学と読む会の30年 何を読み、語り、表現してきたのか?が、名古屋の中心部・栄にある名古屋YWCA)で開催されました。

 在日朝鮮人作家をよむ会は、1977年に発足し、在日コリアンと日本人が協働して進めてきた「文学」の会です。毎月、例会で在日が書いた本を読み、節目節目に講演会とノリマダン(遊びの広場)を行なってきました。3月23日の集で第352回を迎えるたいへん息の長い会です。パネラーの皆さんの意見を紹介します。

会場で売られていた『架橋』。ありそうでない分野の同人誌だ。寄稿者の皆さんはお金を払って作品を掲載している。

●磯貝治良(在日朝鮮人作家を読む会)

 文学者も、在日文学を語る人も出ることのない会でしたが、そのことが、この会の良いところでもあったと思っています。読む会に参加していた文学青年が、会を出て行って、ノリパンのような文化運動を形成していきました。ノリパン発足以来20年間、互いの活動に協力しあう姉妹みたいなものになっています。今 思うと読む会は、在日青年達にとっていろいろな意味での通過儀礼のような存在だったのかもしれません。

 また、会に参加しやすいところが、長く続いている秘訣ではないかと思います。当初、読む会は日本人ばかり7人で結成いたしました。その後、在日の人たちも含め多くの人が参加してくれましたが、設立当初のメンバーは、磯貝一人しか現在残っていません。このような、新陳代謝の激しいところが、マンネリを防いでいてくれたのだと思います。ハングルでいうならば『ネムセ』みたいなものがあります。

 一方で、新陳代謝が激しいことには、裏表の面もあります。なかなか活動記録が残りません。唯一の記録になっているものが会の機関紙である『架橋』です。いつも書いているのは5人ほどで、1人2人、新しい人が書いていたりします。

 すこし前、読む会の30周年集会は、解散集会だと思っていました。2人しか参加者がいないことも何回かありました。2人で3時間ほど話をしたりしていました。それはそれで面白かったのですが、その後、色々な人が集まってくれました。30周年の集いが解散式にならなくてよかったです。

 実は、文学などはどうでもいいと思うときもあるのですが、いつも、書き手が育ってほしいと思っています。特に若い人。若い在日の書き手です。磯貝のような手垢のついた在日文学評論家が、先端を行っているような状態はダメです。新しい第三世代の批評家が出てきてほしい。そして、どうせ出でてくるならば、東京辺りの文壇から出てくるのも、川村湊氏(※編集部)のようによく知られた人たちの中から出てくるのも違います。彼はプロパーとして在日文化を語ります。文学の生まれてくる土壌への理解が抜け落ちているように思います。
※文芸評論家、法政大学国際文化学部教授。1951年北海道網走市生まれ。近年、日本の旧植民地下文学についての編著書多数。法政大学卒。韓国・東亜大学助教授を経て母校で教鞭をとる。

 在日文学は、いまここで生きている点が違います。それをきっちりと言うことができないと、文学論とはいえないのではないかと思います。この会からも、ぜひとも在日文学論を論ずる人が出てきてほしいと思います。

●蔡孝(ノリパン代表)

 磯貝さんからのご紹介にあった通り、読む会に昔、参加していました。現在はノリパンという団体をやっています。自分は、コリアンであることを否定しませんが、コリアンであることを持てあましています。ある催し物の座談会に出席したとき、在日文学というものが、はたしていつまであるのか、あり続けるのかと言うことを、言ったことがあります。在日作家として読める人が少なくなってきました。

 いつまでありつづけるのかについても、自分の息子を見ていても、疑問に思います。現在、日本には外国からやってきた人たちが沢山います。昔、在日は底辺で生活していたといえると思いますが、今は違います。新しくやってきた、ブラジル人、中国人たちの『文学』の目から見ると、在日の姿はどう映るのか?そのような人たちの書く物から、それを突きつけられる日も遠くない気がしました。



ノリパンの演舞。踊りだけでは軽すぎるし、話や対話だけでは空論になりやすいが、両方あることで、いっそう『民族』としての存在感が身近に感じられる気がする。

●姜春根(在日韓国民主統一連合)

 昔、読む回の会合の帰り、納屋橋の近くで蔡孝と殴り合いをしかけました。そのあとに読む回を離れて韓統連の活動をしていました。この会が30年つづいた秘訣は居心地の良さだと思います。昔は、私や在日に向かって朝鮮人問題を語るのが怖いというのがあったと思います。つい最近、30年40年つれあいである友人達と一緒に旅行をしたときに、いろいろ昔の話をしたのですが、私が民族学校出身ということを知って、みなが絶句するということがありました。自分は小学校は民族学校に行って、中学から日本の学校にいったので、みな知らなかった。近くに朝鮮の学校があるということは知ってはいたのですが、詳しくは知らない人たちでした。そのことをが話題になったとたん、雰囲気が変わり、みなが知らなかったことについて、なにか自己批判のようなことを始めました。あの時のことは、今でも妙な感じがしています。

 通過儀礼ではありませんが、若いときには、何かを始めようとして力んでいても、その正体がわからない。ということがあると思います。望んでこの土地に生まれたわけではなく、気がついたらこの土地にいたわけです。頼んでもいないのに差別をしてくれる。何が悪いか。自分を生んだ親が悪いわけですが、でもそれは口が裂けてもいえません。でも自分の子供の世代はそういうことを言うようになっている。自分達の世代の民族的な価値観からはいえなかったようなことが言えるようになってきています。

 とにかく、自分達の世代では親に文句はいえなかったので、会に行くと、憎い日本人の磯貝さんがいて、いろいろと突っかかっていくけれども、怒りもせずに話を聞いてくれる。そういう場所として、正体のわからないものの中でさまよい歩いている人にとっては、この会はありがたい存在だと思います。

●原田芳裕(HArts

 在日であることを力んで名乗ることはないと思っています。あまり力むと本来の自分から離れていってしまいます。自然体といっても難しい。自然体でいたいというのが逃げになっている自分がいる。自然体として在日とは何かを表現することがこれからの課題です。3世4世の世代は、マイノリティについて考える場合、在日であることばかりにとらわれているといけない。10年前と違い、日本にはいろいろな国からやってきた人たちがいるので在日ばかりではないし、自分達の知らない問題も沢山増えています。マイノリティに生まれたことを、むしろ自分達に都合よく利用していくことが大切です。いま東京では、Mixといわれる人たちが集まって行動を起こそうとしています。
ノリパンの演舞に思う
 パネラーのみなさんのお話の合間に、蔡孝さんの団体であるノリパンの皆さんの演舞がありました。やはりブンガクの会だからでしょうか、全体的に、どちらかというと淡々と進んでいた会合の合間に、調子の良い銅鑼とラッパの音が響きます。その音楽にあわせて、ゆるやかな動きの朝鮮舞踊が舞われます。そのにぎやかな音楽のなかで舞われる優雅な踊りの中に、確実に『いまここに』存在している在日朝鮮人の人たちの民族性というのでしょうか、存在感というのでしょうか、『根のあるくらし』といいましょうか、なんともいいようのない『存在感』を感じました。

 このような、伝統に根ざした踊りや音楽を身につけて、人前で迷いなく踊れるようになるには、相当の時間、練習を重ねる必要があると思います。また、ノリパンさんたちは、朝鮮半島にも合宿に出かけるなどして、大変な努力を払っています。ノリパンさんたちの演舞をみていると、そのような努力の成果は、何気ない手の動き一つにも感じられるような気がしてきます。自らの身体を投じて、伝統文化の習得にかなりの時間を費やすことは、あたらしく自分達の文化や現在を創造していくうえでも、大切なものだと思います。

 また、このような身体性の強い芸能の存在も、ブンガクで自らの存在を語る上では、やはり必要なものなのだろうなと強く思いました。読む回のブンガクとノリパンの身体性のある伝統文化。それぞれがお互いの存在を忘れずに、活動しつづけるかぎり、日本社会の流行の動向如何に関わらず『ザイニチ』の存在は、より堅実なものになるような気がしました。それぞれの会の、今後の活動に期待したいと思います。